母・「河合理恵」

私の母は私が生まれるずっと前、「河合理恵」という名前の女優でした。
日活「高校四年」(小林旭主演)でデビュー後、
難関を潜り抜け俳優座養成所10期生に合格。
在学中からテレビや映画、舞台で活躍していました。



当時、身長168センチでモデル並のプロポーションをもっていた母はどこに行っても目立ち、
俳優座養成所時代は「女裕次郎」ということで、
「ゆうさん」というニックネームで親しまれていたそうです。
(当時の仲間たちはいまだに母を「ゆうさん」と呼びます・笑)



娘の私が言うのも身びいきのようで気が引けますが、
芸事には大変な才能のある人です。



しかしながら、本人も認めるとおり
「性格が潔癖すぎて芸能界という世界に向いていなかった」ゆえ、
道半ばにして結婚を機に引退。出産。姉と私が生まれました。



そんな母の、短くも輝いていた芸能界での活躍の記録が
このたび、押入れの奥から出てきました。


ずぼらな母は(^^;)こういうものを「綺麗に保存しておこう」という性格ではないので
あちこち破れていたり、しわになっていたり、かなり恐ろしい状態で発見されました。
しかし、母の友人の努力でかなり綺麗に写真が取り込めたので
せっかくですから、ここに載せておきたいと思います☆



母、河合理恵の青春の記録です。



後ろに立っているのが母。石原裕次郎さんをはさんでいるのが二人の叔母。
母の前は叔母のお友達。
若き裕次郎さん、本当に素敵(^^)。
裕次郎さんが伯父の親友だったため実現したこんな貴重なショット。




昭和34年6月13日号の週刊文春の表紙!!(途中が破れてる〜〜(T^T))
母:「あたし、文春の表紙になったことがあるのよー」
私:「え〜〜文春の表紙って〜うっそ〜〜」
・・・ホントでした(^^;)。ママ、ごめんなさい。




1960年7月10日号の週刊明星の表紙!(明星もかよ!!)
当時「ダークダックスショウ」という番組に「ダークダックスの妹」ということで出演中だった母。
文字がかすれていますが左がわに「ダークダックス・河合理恵」という名前も入っています。




何かの雑誌の記事です(明星?)。
これではわからないと思いますので写真をクリックしてご覧下さい。
左側は祖母「三城輝子」。記事では本名の「喜久代さん」として紹介されています。
スターのお宅訪問、みたいなカンジだったそうです。

この記事の恐ろしいところはなんと
最後に本人の住所が記載されていること!!(今では考えられない!)
この記事が出てから変な手紙が沢山届いて困った、と母(笑)


小唄・春日派の師範
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